賽の河原で貝殻を積む

水産技術者として思うこと等々

捕鯨再開となったが・・・。

日本がIWO(国際捕鯨委員会)から脱退する、というニュースを聞いたとき、我が耳を疑った。

日本ほど、条約批准後、条約を忠実に守っている優等生の国家は珍しいからだ。

頭に浮かんだのは、何故か国際連盟脱退の頃の軍事国家だった日本のことである。

それ程、私には衝撃的な報道だった。

日本人と鯨の文化は、非常に長い。

紀元前の頃から、遺跡の中に鯨の骨が発掘されているし、文献としては、奈良時代捕鯨を行っていた記録も残っている。

17~19世紀に燃料として鯨油が必要である、という理由だけで鯨を乱獲していた欧米、欧州諸国(鯨油だけ採り、個体は棄てられていた)とは異なり、鯨の皮、骨、肉、髭まで全て日本では利活用されてきた。

私が小学生の頃、当たり前のように鯨の竜田揚げが給食に出てきていたのが、ある年を境に、全く食卓にも上がらなくなったことを覚えている。

高校生の頃、人工的に小型の鯨を養殖できないものかと考えたぐらいだ。

 

捕鯨国、反捕鯨を訴える人々の言い分は、捕鯨をしなくても、他の動物タンパク質はいくらでも市場に存在している、何故わざわざ捕鯨を行う必要があるのか。これに尽きると思う。鯨を神と崇めている宗教の存在も知っている。

 

一方で捕鯨国の言い分は、捕鯨の文化が失われることは、その国の歴史的財産を奪うことになる、捕鯨し、鯨を利活用する文化を失うことを世界に強要されることはおかしい、という言い分である。

 

どちらも正しい言い分であるし、これを感情論で議論しても何の解決にもならない。

そのために調査捕鯨を行い、世界の鯨資源の把握に努めてきたのだが、この調査捕鯨自体を停止することになり、日本が遂にIWOから脱退し、商業捕鯨を再開することになったのである。

私が水産学を学んでいたころは、既に捕鯨自体、行われていなかったため、捕鯨に関する知識をほとんど学ぶことができなかった。イルカ突きん棒漁という漁法がある、ということを学んだだけだ。

ただ、全国を移り住んできたため、和歌山や千葉で地元の住民たちを対象として、食文化を残すために、捕鯨が細々を行われていることは知っている。

 

日本の捕鯨文化を残すか、国際調和の観点から長年培ってきた文化を棄てるか、と選択を迫られた場合、私は文化を残す方を選択するだろう。

紀元前の頃から鯨と日本人の文化は、日本に深く根付いている。

乱獲を行わず、適正に資源を管理しながら、捕鯨を行うのであれば、という条件を付けるが。

 

しかし、心配なことはあまりにも長い期間、日本で鯨を食べる文化が失われてしまったことだ。鯨肉は、高タンパク質で低カロリーであり、豚肉、牛肉に比べると機能性食品と言ってもよい。

だが、今の日本人が牛肉や豚肉、鶏肉を差し置いて、鯨肉を食べるか、と考えると、おそらく鯨肉を選択することはないだろう。

調理方法も鯨食文化が廃れてしまい、分からないし、海外から輸入した牛肉や豚肉の方が圧倒的に安い。鯨肉がスーパーで販売されていた頃、輸入牛肉や豚肉、鶏肉は日本で販売されていなかった。

 

そのため庶民は、国産の牛や豚の代わりに、鯨肉を食べていたのである。

いきなりIWCから脱退し、商業捕鯨を再開するのではなく、水産庁は、鯨文化の再開を広く日本中に伝えることが先ではなかったのか?

今の水産庁長官は、課長時代から知っている方であるが、ここぞというときに煙に巻いて逃げる人物として有名だった。

こんな状況で捕鯨を再開して大丈夫なのだろうか、という不安が残る出来事だった。